わたしの『交通事故』体験談 自転車で交通事故に合った話 3本立て

自転車事故

この記事ではわたしが高校生の時に遭った3度の交通事故ことを書いています。

わたしは当時、家から学校まで片道40分、自転車で通っていました。

今思えば自転車に乗る機会が多かった分リスクが高かったのだと思います。

のりパパ

親には心配をかけたくないと思い、話していなかったのですが…

①道路の側溝は危ない

わたしの地元は神奈川県の厚木市というところにあります。

今でこそ住みたい街ランキングにのるようなような場所ですが、交通の便が悪く、少しはずれると山や川や田んぼ等がひしめく自然地帯

当時、わたしが通学のとき自転車で通っていた道の序盤はひたすら田んぼ道でした。

その道は水道道路と呼ばれており、歩道と車道の区分けもされていないような細い道でした。

道路の側溝は特徴的な形をしていて、弧を描くような湾曲した溝になっていたのです。

落ちる程深くはないのですが、そこにハマると転びやすいというリスキーな一面もありました。

何度も転びかかったり足をついたりすることがあったのですが、ある日ついに転んでしまったのです。

「危ない!!」

と思って転んだ先で手をついたその刹那

後ろから来た軽乗用車に手のひらを轢かれてしまったのです。

ついでのようにバンパーに後頭部も弾かれました。

軽乗用車で衝撃が少なかったためか、手は指がややしびれる程度。

頭もコブができる程度で命に別状はありませんでした。

のりパパ

なかなかの奇跡です。

しかし、人をひいてしまったという罪悪感から軽乗用車から運転手が青ざめた顔でわたしのところへやってたのです。

「今、わたしハネましたよね?大丈夫ですか?病院、呼びましょうか?」

20代半ばから30代前半位の女性の方でした。

わたしは当時、中学生時代から続けていた皆勤賞を逃したくないという思いから

「大丈夫です。自分が悪いんで…」

と、そそくさとその場を離れました。

「でも…」という運転手の方を置き去りにしてわたしは自転車をこいでいきました。

その後特に体調に問題はなく現在に至っております。

のりパパ

今思えばちゃんと救急車を呼ぶべきでした。

②消えた自転車

一見マンガの世界のような話で、作り話だと疑われることが多々ありますが、実体験です。

わたしの通学路は田んぼ道を終えると国道246号線が近くなります。

車通りも多くなっていくためよりリスクが高くなるのです。

ある日、いつものように国道を渡って次の交差点に差し掛かったその時です。

小道から車が一時停止をせずに突っ込んできました。

のりパパ

信号がない小さい道路で止まらずに突っ込んでくる車、腹立ちますよね。

気づく間もなく右横からぶつけられてしまったのです。

真横から車に当てられたとき、一番最初はどこに当たるかご存じですか?

自転車の一番横の部分はハンドルですが、車高の低い車ではペダル当たります。

車がペダルのみにクリーンヒット。

なんと自転車だけが吹っ飛んだのです。

わたしからは自転車をこいでいる体勢のまま自転車だけが消えたように感じました。

体は無傷で自転車も普通に使用することができたので良かったのですが…

またもや皆勤賞のため、すぐに立ち上がり何事もなかったかのように学校へ向かいました。

のりパパ

悪質なドライバーの抑制の為にも警察へ連絡すべきでした。

③アソコ以外は大丈夫だった話

中学生から高校2年生までの5年間、何とか皆勤賞を維持してきたわたし。

しかし高校3年生の4月、ついに記録が破られることになってしまいました。

先生方の離退任式の日の事でした。

「春眠暁を覚えず」

という言葉をご存じでしょうか?

眠いんです春は。

5年間の記録をやぶったのはなんと、わたし自身の睡魔でした。

のりパパ

友人は交通事故で皆勤賞を逃したと思っています。

朝起きた時にすでに間に合わない時刻に。

「この時間はもう間に合わないな」

時計を見てしっかりとあきらめました。

当たり前ですが、遅刻でも学校には行かなければなりません。

重い腰を上げていつものように自転車にまたがりました。

あきらめていたので特に急いで自転車をこいでいたわけではありません。

ところが国道246の下の短いトンネルを出たところで事故は起こりました。

出会い頭にジープのような大きい車と正面衝突をしてしまいました。

のりパパ

その道をわたしは一方通行だと思っておりました…。

かなりの距離、跳ね飛ばされていました。

事故の瞬間は写真を撮るように景色が変わっていったことを覚えています。

のりパパ

車と正面衝突すると車側の方へ飛んでいくんですね。

たまたま車の方を向くように倒れましたがその時、

わたしをハネた車が一度去ろうとしてから止まったように見えました。

のりパパ

逃げたくなってしまうような心理が働くのかもしれませんね…

わたしをハネた車の中から40代くらいの男性の方が出てきて、何故かにこやかに

「大丈夫ー?」

と言われました。

通りすがりの50代位の女性の方も来て、救急車を呼んでくれました。

ハネられた直後は痛みよりショックで動けませんでした。

のりパパ

「死んだ」と思いました。

しばらくすると救急車がやってきて人生で初めて自分の事故で救急車に乗りました。

救急隊員の方に

「立てる?」

と言われたので頑張ってみると

「立てた!」

何とか自分で立ち上がることができました。

救急車内で血圧を測ってもらっていたのですが、そのときわたしが

「オレ、死ぬんですかね?」

と救急隊員の方に聞いたところ

「そんだけ喋れれば大丈夫だよ。」

と言われました。

素直だったわたしは救急隊員の方の言葉に

「そっかー、良かった。」

と安堵し、初めての救急車内を楽しんでいたそのとき。

自分の体にある“異変”が起きていることに気づきました。

当時わたしが着ていた制服はグレーの色だったのですが、スラックスの下腹部あたりが黒っぽく湿っていたんです。

「コレ、なんですかね?」

救急隊員の方に聞いたところ、少し固まってから

「中に手、入れてみて」

と促され手をスラックスの中に入れて”濡れた何か”を触って手を出して見たところ

指にベットリと“赤い液体”がついていました。

のりパパ

「男性生命、終わった~」と思いました。

あらためてズボンを脱いで局部を見たところわたしのチ○コが赤くなっていたのです。

その旨を伝えたところ

「外側の部分だったらそんなに問題ないと思うけど、本体だったら大変かもしれない」

と言われました。

プレッシャーを感じながらついに病院につきました。

病院に着くと様々な検査を受けることになりました。

のりパパ

交通事故に遭うと色んな科で受信することになります。

検査が終わって部屋を出たところで母親と担任の先生がわたしの元に駆け付けました。

のりパパ

待っている間、母と先生で泣きながら心配してくれていたと後で聞きました。

検査結果については医師の方々が一列になって報告します。

「○○科、異常ありません」

と一人ずつ報告してくれたのですが…

最後に形成外科の医師が例の下腹部について報告してくれました。

結果的に大事には至らないとのことで安心したのもつかの間

「傷が深い為これから縫合します。」

と仰いました。

「え、これから!?」

母と担任の先生は退室させられました。

その場で医療系のドラマでよく見かける緑色の局部に穴があいた布をかぶせられたのですが

「逆、モザイクやん」

といった感じでした。

女性の看護師さん二人は残っていました。

そして全ての科の医師の方が見つめる中で縫合されました。

のりパパ

なんともシュールな体験でした。

打った部分麻酔が丸く膨らんで

「もう一つの○玉みたいだな~」

なんてことを思いながら縫合される様を見ていたのですが、医師の方々が

「ほぉ、こうやって縫うんですねー」

と興味深く見つめながら話していて

「わたしの傷をみなさんの役に立てることができたんだ」

と少し誇らしい気持ちになりました。

のりパパ

貴重な体験でした。

後日、事故現場に放置されていた自転車を母と二人で取りに行った時の事です。

マンガの世界のようにひんまがったわたしの自転車を持って帰ろうとしたその時

「パァン!!!」

圧迫されていたタイヤのチューブが破裂したのです。

トンネルの中だったのでかなりの爆音で轟きました。

わたしと母は二人で飛び上がって驚き、そして笑いました。

何とか生きて交通事故を乗り越えることができたわたし。

ところが、事故から数日たった時に悲劇は起こりました。

ケガで体を縫ったことがある方であれば経験することなのですが

治りかかるにつれ局部がかゆくなるのです。

特に下腹部は血液が溜まりやすい場所なので、より一層かゆくなるのです。

かいてしまうと傷口が開いてしまうのでかゆみを我慢しながら数週間を過ごすという地獄のような日々を経験しました。

今では後遺症もなく、機能も問題なく(笑)生活することができています。

のりパパ

自転車にのる時はくれぐれも交通事故に気を付けて下さいね!!

おわり