のりパパが”父親”になった日 妊娠から出産まで【2020年】

この記事ではわたしのりパパが父親になった日のことを書いています。

ただでさえ貴重な経験ですが時は”コロナ禍”、通常とは勝手の違うことがたくさんありました。

のりパパ「

通院から分娩までも通常とは異なっていました。

嫁さまの妊娠

春先のある日、私の嫁さまが新しい命を身ごもっていることが判明しました。

わたしは妊娠検査薬を握りしめ、一抹の喜びとともに様々な不安がこみ上げてきました。

「ちゃんと産まれてくるだろうか」

「お金は大丈夫だろうか」

「子育てってどうやるのか」

「コロナ禍で母子共に無事でいられるだろうか」

などなど…

のりパパ

一番不安なのは嫁さま自身なんですけどね。

>>のりパパのプロフィール

半年ほど前にも一度妊娠検査薬で陽性になったことがありました。

しかし、その時は残念ながら叶わなかったのです。

そういった経験があった為、わたし達夫婦は過度な期待は避けるようにしています。

今後も何があるかわからないと思って慎重に結果と向き合っていました。

※上記内容の掲載に関しては嫁さま了承済みです。

実際産婦人科に行くまで知らなかったのですが

妊娠検査薬で陽性になっても産婦人科で妊娠と確定されるまでには数週間程の要することがあるのです。

それだけ妊娠初期の段階にはリスクがあるのだということを知りました。

産婦人科では前回と同様

「来週また来てください。」

と言われ、その時は妊娠確定にはなりませんでした。

今回は嫁さまの体調も悪くなく、順調に過ごすことができていました。

そして次の週、初めて妊娠が確定したのです。

のりパパ

まずはひと安心といった感じで慎重に喜びました。

当時はコロナの影響で夫婦そろっての通院は禁止されていました。

私は病院まで行って駐車場で待機するという形で通院していました。

その後保健センターにて母子手帳妊婦健診時の助成券を受け取り、嫁さまの妊娠生活がスタートしたのでした。

つわり期

ドラマでよくみかける

嫁「うっ!」

母「あなた、もしかして…」

のような展開は特にありません。

既に妊娠が発覚していた為

「つわりってどんなんだろーねー」

と嫁さまと話していたのもつかの間

のちに吐き気や味覚の変化と戦う日々がやってくるのでした。

嫁さまは吐くほどひどいつわりではなかったですが、においには敏感になりました。

オレンジジュース果物ゼリー(特に人工甘味料なし)は必須アイテムでした。

のりパパ

この時期、妊婦さんは本当に大変なので夫はなるべくサポートに徹するよう!

ツラそうだけど何もしてあげられないという無力感を抱えながら過ごす日々でした。

さらに、コロナが深刻化していた時期でもありました。

帰宅したらシャワーを浴びてから接触するようにしていたので、直ぐには触れ合うこともできません。

そんな中ようやくつわり期を乗り越え、少しずつ嫁さまのお腹に変化が…。

胎動と過ごす日々

つわりが落ち着くと安定した時期に入っていきます。

その頃からお腹がだんだん大きくなっていきました。

のりパパ

「自分も父親になるんだな~」と実感しました。

お腹が大きくなると共に胎動も感じるようになり、妊娠後期は外から触ってもわかるようになります。

これもまたドラマでよくある

嫁「あ、今動いた!」

夫「ほんとだ!元気に育つといいね。」

等というやりとりは一度くらいで終了。

大体は

嫁「今日も胎動凄かったわー…」

夫「お、お疲れ様です。」

みたいな感じになります。

のりパパ

うちの場合はすごく激しく動いていました。

嫁さま、里帰りをする

そんな胎動と過ごす日々でしたが、出産予定日のふた月ほど前から嫁さまは群馬の実家へ里帰りすることに。

のりパパ

長期の休みが取れなかったのでお義母さんにお世話になることにしました。

会社員のわたしは普段、嫁さまの身の回りのことを手伝うことができません。

その為、お義母さんにはとてもお世話になりました。

自分事になって初めて、日本での出産や育児の難しさを考えられるようになりました。

のりパパ

夫がもっと出産や育児に協力できる世の中になっていくことを望んでいます。

仕事が連休の日はわたしも群馬へ行き必要なものをそろえたり一緒に歩いたりしていました。

出産の立ち合い

予定日を2週間前に控え、公休を利用して群馬に会いに行った時のことです。

「次に会うのは出産の時だね」

なんてことを話して帰ったその日の夜、嫁さまのお腹に変化が起きました。

そんなことも知らず、わたしは帰宅して風呂に入り、すぐに寝てしまいました。

翌朝メールを見て一気に目が覚めました。

のりパパ

ゴメンなさい…

嫁さまはわたしが帰った後、少し破水してしまったので急遽病院へ行っていました。

朝メールを見るなりすぐに電話したところ案外ふつうに元気そうな声で

「今日産むことになったから。すぐには産まれないからゆっくり支度をしてから来て」

と言われました。

「そういうものなのか~」

初めてのことだったので言われるがまま、その日はたまたま三連休のなか日だったので支度をして群馬へ向かいました。

「初の出産だし、ビデオとか撮影できたらいいな~」

なんてことを考えつつ道中ヤマダデンキによってビデオカメラを物色していたところ嫁さまから着信が。

電話口から聞きなれない声がしたのですが、相手は看護師さんでした。

「陣痛が始まったのでいきんだら早いと思います。どのくらいで来れますか?」

と言われたのでわたしは

「近くまで来ています!10分で行きます!」

と言ったところ

「そんなにすぐには産まれないと思います!」

と言われ、

「どっちやねん?」

という思いを抱えつつ、急いで病院へ向かいました。

のりパパ

久しぶりに焦っていたと思います。

コロナ禍でしたが、嫁さまの通う病院では前月から一名のみ立ち合いが可能となっておりました。

病院に着き、受付で分娩中の夫である旨伝えると分娩室へ案内されました。

お医者さんが手術の際に着るような防護服のようなものを身に着け、フェイスシールドも着けていざ分娩台へ。

のりパパ

コロナ禍の初期は色々不具合なことが多かったです。

陣痛との壮絶な戦いの真っただ中に途中参戦したわたし。

病院の方に言われた通りに立ち合いに臨みました。

看護師「このタイミングで枕を押して!」

夫「はい!」

というやり取りが進み、最終的には

夫「はい、おへその方見ていきんで!!」

などと嫁さまに支持を出していました。

こうして、わたしが到着してから2時間程で無事わが子が産まれたのです。

看護師さんがわが子のお尻に体温計をツッコんでいて

「ソコから測るのか!」

と驚いたのを覚えております。

体重も測った後にタオルに包まったわが子を初めて抱きかかえることができました。

とても小さいのに確かにそこにいて、わずかな重みと温かさがあって、生きている

という感じがしたのを覚えています。

壮絶な戦いの後でしたが安堵した嫁さまと親子3人で記念に写真を撮りました。

≪親子3人初の記念写真≫

その日の夜は嫁さまの両親にお寿司をご馳走になり、嫁さま不在の実家に泊めてもらいました。

翌日必要なものを病院の窓口に届けてから自宅へ帰宅したのでした。

のりパパ

面会は禁止だったため、嫁さまとわが子には会えませんでした。

出産後に知人からもらって嬉しかったプレゼントがこちらです↓

まとめ

以上がわたしが体験した父になるまでのエピソードでした。

コロナ禍で通常と異なった点としては

  • 産院へは妊婦一人で行く必要があった
  • 病院によっては立ち合いができないところも
  • 仕事が早く終わって逆に助かった
  • コロナ禍につき出産に関わる特別給付金がもらえた
  • 出産育児に関わるパパママ教室が閉鎖していたので不安だった 

※情報収集は主に育児雑誌ネットにたよっていました。

という点でした。

のりパパ

インターネットのありがたみを感じるとともに、正しい情報かの判断に悩みました

夫として思うことは、産休等の取得に関して良心的なのは一部の会社だけということです。

わたしが務める会社でも制度としてはあるものの、暗黙の了解のように取得することはできませんでした

のりパパ

まだまだ日本は遅れています。

少しでも多くの方が出産や子育てをしやすい環境が整っていくことを心より祈っております。

以上、のりパパの”父親”体験談でした♪